チョークアートのお仕事について①

 

私の働き方って、女性からみると興味深いようで、

そのノウハウや、

私がどういう道を辿って、今この仕事をしているか

2日に一回は(ちょっと盛った)

とにかく、かなりの頻度で興味を持たれます。

 

 

なので、ここらで一度お話しをしましょう。

離すと長くなるので、何回かに分けようかしらね。

 

いつか、これをテーマにと思ってはいましたが、

昨日、私の師匠Ryo先生がインスタで毒づいていたのを見て、

※絵を仕事にすることに「いいな~」といわれる件について

 

チョークアートを仕事にするということについて

書くことにしました。笑

 

 

「なんでこの仕事をはじめたんですか?」

「どうやって起業したんですか?」

「私もそんな風に働きたい」

「○○はどうしてるんですか?」

「教室のためだけにこの部屋借りてるんですか?」

 「どのくらい生徒さんいるんですか?」

「注文はどのくらいあるんですか?」

「こうやって仕事できるっていいですよね~」 

 

 

お会いする方によーーーーくいわれます。

不思議なんでしょうね。笑

 

こういう働き方で、食べていけてるのか~

いいな~

という視線をヒシヒシと感じます。

 

 

「そんな甘いもんじゃねーのだ!」

というブラックな気持ちと、

 

 

羨ましがられるほど、

私は輝いて見えているのか~

 

という喜び。笑

 

そんな気持ちになります。

 

Q 「もともと絵が得意だったんでしょ?」

私 「絵は得意じゃないです」

 

Q 「いや~やっぱり素質があったんですね。ほんとすごいですよね」

私 「いやいや~全然すごくないです」

 

 

謙遜ではなく、本当に無力な一人の人間からのスタートでした

というアピールをしたいので、

あなたごときに~と思われそうですが

 

今日は、まず私がKCFを立ち上げるまでのお話をさせて下さい☆

 

注)自伝ばりに長文です。忙しい方、興味のない方はお気を付け下さい。

 

 

*****************************************************

1988年11月、4人兄弟の末っ子として この世に生をうける。

 

(えっ?!ここからなの?笑↑)

 

幼少期は、、、

物心ついたころから、悟った表情をしていて、

子どもなのに大人みたいだったと母には言われました。笑

 

アクティブな子だったんじゃない?

 

と思われがちですが、

学校や習い事、行事ごとが嫌いで

「行きたくない!おうちにいたい!やすみたい!」

とゴネる子で、新しい環境は大の苦手でした。

 

 

そのくせ、間違っていると思ったことは黙っていられず、

小学校、中学校時代は、理不尽なことを言う先生によく

はむかって戦っていたような気がします。笑

 

 

中学校は吹奏楽部でSAX担当。

高校では2か月バレー部、その後家庭部(ほぼ帰宅部)、

ぜ~んぜん美術部とか、

このころから絵が好きで~

なんてこれっぽっちもなかったです(@_@)

 

 

今思い返せば、

チョークアートに出会うまでの私は、常に無気力。

「めんどくさーい」

「だるーい」

「働きたくないから早く結婚したい」

 

そんな感じ。笑

 

でも、生まれながらのその悟った雰囲気が落ち着いてるように見えたのか、

何かと代表やリーダー的役割を割り当てられることも

多かったかもしれないな。

 

競争が大っ嫌いで、

マラソンは最初から歩いてスタート。

 

受験らしい受験もせずに、

なんとなく大学にいって、なんとなく社会人になりました。

 

(やっと大人になったね)

 

 

こんな私も、

ギリギリ就職先が決まり、広告などに使う

写真素材を専門に扱う会社に就職。

 

なぜギリギリだったかって?

 

その理由はね

 

① どこも拾ってくれなかった

② 日本の就職制度に納得いかず、我が道を貫いた

 

一番は①だけど、

とにかく、葬式のように黒いスーツの集団がウジャウジャ

 

 

どーでもいいだろ!人間の本質はそこではない!

と突っ込みたくなる、ノックの回数や、前髪が垂れないように

黒いピンでとめろ、この質問にはこう答えろ、みたいな

マニュアルが気持ち悪いくらい嫌で。。。。

 

でも型破りなことをする勇気もなく

中途半端に反抗しながらの日々。笑

 

 

普通は参加する就活セミナーみたいな

履歴書の書き方とかを教えてくれる

学校の講習も1回も出席せずに、

履歴書を送り続けた結果、どこにも拾ってもらえなかったという

そんなオチです。

 

 

いっちょまえに反発するのはいいけど、

特に夢も目標もないもんだから、

ただのワガママな奴だったんですね(・.・;)

 

 

それでも、ことごとく撃沈して

お祈り通知(不合格の通知)がじゃんじゃん届くのは

自分という人間が否定されている気がして

病んでいきました(=_=)

 

あまり過去の記憶は覚えているほうではないけど、 

 

「も~やだ~~~~(うぇーん)

チョ、、、チョーク、、、アート、、、やりたい、、、うっ」

 

と、母の胸を借りて大泣きしたのは鮮明に覚えています。泣

 

はい、この時点でチョークアートには出会っていました。

大学3年かな?

どれも続かないけど、

モノ作りをするのが好きで、よくホビーコーナーをウロウロしていて

チョークアートの本を見つけて、

 

「っ!かわいいいいいい!!やりたい!」

 

すぐにキットを買って、ひそひそと1枚描いてみました。

 左側の「カラー」の花です。

下絵がついていて、DVDもついてました。

 

 

みるだけで くしゃみが出そうなほど ホコリが。。。

 

「これ、人生変わるわ」

 

絵が描けるって、こんなに楽しいの?!

 

ぐわ~~~~っと心の底から

なにかが湧き上がるような感覚がありました(+o+)

 

苦しい苦しい教育実習が終わったご褒美に

ジャイアンからカランダッシュの小さな缶をもらって

チマチマと独学でかいてました。

 

 

 

大学生の私に

関東までチョークアートを習いに行くお金があるはずもなく、

たまに思い出す程度だったんだけど、

 

この、就活ウツ号泣事件のときの

この発言は、当時はただの逃げで

思い出したかのように、ただ言っただけでした。笑

 

 

そんなこんなで・・・

 

どうにか私を拾ってくれた会社に入社するわけですが・・・

そんな私が長続きする訳もなく。

 

あっさりと半年もたたずに退社。

 

 

こんなにすぐ仕事を辞めた人は

当然、わたしのまわりにはおらず、

皆が希望に満ち溢れキラキラと社会人として

大人になっていく姿を見るのは、

またもや、かなりの劣等感でした。

 

 

未来が見えず(当時の私には大袈裟な表現ではなかった)

 

こんな時は、まず行動。

旅もかねて、憧れだったRyo先生の教室へ通学スタート!

 

 

社会人生活わずか数か月の私の貯蓄は無いに等しかったですが、

全財産はたいて、夜行バスで横浜へ出発しました♪

これに賭けていた、というよりは

何かしていないと許されないような気がしていたのかも。

 

 

1日7時間×3日間で

先生に無理を言って短期集中でレッスンをしてもらいました。

初日にかいたレッスンカルテに

 

「インストラクターコースまで受講希望」

 

に丸を付けて、やる気満々。

 

わすれちゃったけど、

この時点で、これを仕事にしたいと思っていたようです。

 

横浜遠征もおわり、2か月後にはひとまず

生活するためにお仕事を始めました。

 

教師志望ではなかったけど、

もう会社員は嫌だったので

小学校の補助員としてパート的な感じで

子どもたちのサポートをさせてもらうお仕事につきました。

(嫌々とった教員免許が役に立つ日が來るとは。両親に感謝。)

 

もちろん、その間も、月に1回2日間ペースで横浜に通学して

チョークアートの学びは継続していました。

 

少ないお給料のほとんどを、チョークアートに費やしていましたが、

私にとっては痛くもかゆくもない出費でした。

 

こうして、3年弱の横浜通学を経て

(途中、結婚したり、旦那が職を失うなど、様々な山あり谷ありがありましたが・・・)

 

お仕事の契約満了と共に、KCFが本格始動するのでありました~♪

 

 

続きはまた次に。

 

 

 

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